【第4回前編】浜野製作所代表取締役CEO・浜野慶一
- 対談連載『リーダーのアタマのナカ』
目次
“町工場の英才教育“が引き出した、人と人とのつながりで起こすイノベーション
オーツー・パートナーズの代表取締役社長 松本晋一が日本の製造業をより元気にする手がかりを探し、様々な領域で変革を起こし続ける各界のキーマンにインタビューする対談連載『リーダーのアタマのナカ』。今回ご紹介するのは、東京都墨田区にある浜野製作所代表の浜野慶一氏。高い開発力を発揮し数多くの新製品開発支援を行っており、名だたる大企業やスタートアップから絶大な信頼を寄せられています。今回は、浜野製作所がどのようにしてイノベーションを起こす町工場として生まれ変わっていったのかを、浜野氏の取り組みから掘り下げます。
原点は、支えあいながら生活を営んでいた昭和の町工場
松本:浜野製作所とは、2019年から一緒に仕事をさせていただいており、現在オーツ―・パートナーズと資本業務提携を結んでいます。今や日本の製造業をリードする存在として、全国的にも有名になっている浜野製作所ですが、どんなことをやっているのか教えていただけますか?
浜野:もともとは、金属加工を行う下請けメインの町工場でしたが、近年は開発や設計、新製品の試作や量産化のサポートなど、ものづくりにかかわる総合的な支援サービスを展開するようになりました。ミッションは、「人と人のつながりの中から、新しいビジネスを起こしていきましょう」ということ。人と人とのつながりは、創業者である親父の代から、大切にしてきたことなんです。
松本:浜野さんは、お父さまから会社を引き継がれたのでしたね。
浜野:そうです。私は2代目社長で、親父やおふくろの仕事ぶりを間近で見て育ちました。昔は自宅と工場が一つになっていて、事務所の隣に私の部屋があったので、親父がお客さんと打ち合わせをしたり、おふくろと経営について話し合ったりする声が、薄っぺらい壁一枚隔てて、自然と耳に入ってきたんです。もちろん、子どもの頃は「またむずかしい話をしてるな」と思うだけでしたが、そのときに感じたことは、今に活かされているので、「私は、町工場の“英才教育”を受けて育ってきたんだな」と思っているんですよ(笑)。
松本:町工場の英才教育とは、面白いですね。
浜野:そう。お客さんと事務所で酒を酌み交わしたりもしていたんですよね。そこで親父が、お客さんに花を持たせるような話題を選んだり、柔らかい言葉で自分の気持ちを伝えたりしているのを聞いて、人との付き合い方をなんとなく理解していったような気がします。
松本:そういった原体験が、先ほどおっしゃっていた「人と人のつながりの中から、新しいビジネス起こしていきましょう」というミッションにつながっていくのですね。
浜野:そうですね。まわりにいた大人も、おせっかいな人たちばっかりで(笑)。工場が忙しくて、親父の手が空かないときは、隣のおっちゃんが銭湯に連れていってくれましたね。おっちゃんと行くと、帰りにフルーツ牛乳を買ってくれるから、それを楽しみにしていたりね(笑)。そんなふうに仲間と支え合いながら生活をしていた時代でした。そのつながりをうっとうしく感じた時期もありましたけど、一方で、とても心強く、ほほえましいものでもあって。人が生きていくためには、人とのつながりが欠かせないということが、私の中に浸透していきました。
「後継者」から「経営者」への変化
松本:お父さまの志を受け継ぎながらも、町工場からイノベーションを起こすという、今の経営スタイルに変わっていったきっかけは何だったのでしょうか?
浜野:2000年に工場が全焼(*)したことも、一つのきっかけではありましたが、私が後継者から、経営者として意識を変え、成長する機会を与えてくれたのは一橋大学名誉教授の関満浩博先生でした。
*2000年、浜野製作所の工場がもらい火で全焼。一時期経営難に陥るが、見事再建した。
松本:関先生は、どういう方ですか?
浜野:日本の中小企業研究の第一人者です。近年、後継者がいないため廃業を余儀なくされる町工場が増えていますよね。この、いわゆる“事業承継問題”に危機感を感じていた関先生は、全国で、後継者育成のためのビジネススクールを開催されていました。その取り組みの一つとして、関先生が2004年 に墨田区でスタートしたのが「フロンティアすみだ塾」です。
松本:その塾に参加されたんですね。
浜野:いや、私はそのときすでに会社を継いでいたので、もう後継者ではなかったし、むずかしい話も苦手だったので、参加するつもりはありませんでした。でも初回の日、たまたま時間が空いたので、「見学くらいはしてみるか」と、軽い気持ちで見に行ったんですね。そうしたら、この赤いジャンパーが目立ったんでしょうね。関先生が、「はい、そこの赤い人。簡単な自己紹介と今日の感想をどうぞ」って、いきなり私を指名したんです(笑)。人前で話すことには慣れていなかったし、戸惑いましたけど、なんとか答えました。それから、関先生との交流が始まりました。関先生のところの学生さんが、うちの工場を見学に来るようになったり、墨田区の工場の事例として、出版物でうちを紹介してくださったり。関先生とのつながりの中で、経営者としての視点を身に着けていくことができました。
23年間かけ、コツコツ進めた事業構造改革
松本:浜野製作所が変わるきっかけも、関先生という「人とのつながり」だったんですね。
浜野:そうですね。父の急死によって、私が会社を引き継ぐことになりましたが、当時はお客さんが4社しかなく、5~6次請けの部品加工の仕事が、ほぼ100%でした。その後は事業構造の改革を目指し、少しずつ設計開発や企画、予算づくりからお客さんと一緒にやるようになりました。今では売上の半分が、企画や設計から入る仕事になっています。
松本:会社を引き継がれて23年で、そこまで持っていったんですね。素晴らしいですね。
浜野:いや、23年間ですから、それなりに長い期間がかかっていますよ(笑)。もともと親父は、これから大量生産の仕事は海外に流れていくだろうと見込んでいて、少量多品種の仕事にシフトしていこうとしていたので。その遺志も継いだ形ですね。
松本:素晴らしい思います。今後も、更なる成長を目指されるお考えですか??
浜野:いえ、会社の成長や売上が一番の目的になると、本当にやりたいことや、私たちならではの強みを失ってしまいかねないと思っています。もちろんビジネスである以上、利益は追っていかなければなりませんが、一番大事にしたいのは、当社で働いている従業員の生活と心の豊かさを実現すること、そして、長年積み重ねてきた基盤技術の強みを新たな市場創出・価値創造につなげていくことですね。
松本:そうですよね。浜野さんたちはきっと、「売上や結果がすべて」みたいな考え方にはならないでしょうね。
浜野:大企業はお金も人員も豊富ですし、大きなプロジェクトも手がけられますが、一方で、大企業になったことでできなくなってしまっていることも、たくさんあるはずなんです。
メリット・デメリットだけでは、考えない
松本:浜野さんは、大企業や自治体に招かれて講演をしたり、大学で講義をされたりなど引っ張りだこですが、人前でお話をするようになった最初のきっかけは、何だったのでしょうか?
浜野:それが、あまり覚えていないんですよね(笑)。きっかけといっても何か大きな出来事があったわけではなく、会議の流れでなんとなく…とかだったかもしれません。
松本:えっ、最初のきっかけを覚えていないんですか…?なるほど(笑)。浜野さんはたぶん、自分が前に出たり、注目されたりすることに興味がないんですね。大企業に呼ばれるのも、商工会の集まりで話すのも、浜野さんにとっては同じことで、ただひたすら、「お力になれるなら話しますよ」という気持ちで、引き受けてこられたのでしょう。
浜野:いや、そんな選べるような立場ではないですから…。でも、そうですね。私たちの過去の経験が、少しでもみなさんのお役に立てばいいな、と思って、そういう仕事もお受けしています。それと、ふだんは出会えないような業界や業種の方たちとお話できることもうれしいですね。そういう場所でつながったご縁が、今の浜野製作所を支えてくれているといっても過言ではありません。松本さんとの出会いも、その筆頭であることは間違いないですね。
松本:仕事を受けるときに、「自分にとってメリットがあるか・ないか」を一番に考えて動く人もいます。でも浜野さんからは、そういう打算のようなものを一切感じないんですよ。とにかく、「力になれるなら何でもやります」と。そのスタンスを貫き通してきているので、出会う人はみんな浜野製作所のファンになっちゃうんですよね。
浜野:いや、でも私だって、どんな企業とでもお付き合いしている訳ではありません。仕事に情熱や想いを持っていないような方とは、仕事をしても、結果的に長くは続きません。今、スタートアップの支援事業もやっていますが、ずっとお付き合いを継続できているのは、「このビジネスで社会を良くしたい」「子どもたちの笑顔を取り戻したい」など、志や情熱があり、自ら当事者として動き、しっかりとしたビジョンを持って取り組んでいるところだけですね。
次の仕事につながる種をまき続ける
松本:浜野さんは、企業や自治体のアドバイザーなどもたくさん務められていますよね。そういったお仕事は今の浜野さんの仕事の何パーセントくらいを占めていますか?
浜野:20%くらいでしょうか。でもアドバイザーといっても、アドバイスなんてほとんどしていないですよ(笑)。
松本:毎日お忙しいと思いますが、そういった仕事を受けるモチベーションは、どこにあるのでしょうか?
浜野:入り口は単純に、「面白いことをやっているところだな」という興味ですね。自治体は別ですが、企業から依頼を受ける場合は、アドバイザーというより、その会社のものづくりに入り込んで、ともに試行錯誤している感じです。一緒に新しい技術の開発に挑戦したり、弊社の従業員を出向させて、逆に学ばせてもらったりすることもありますよ。こうした出会いから新規の開発案件に繋がることも増えてきています。受注型の部品加工と新規の開発案件の比率が5:5くらいです。
松本:まさに、人との縁やつながりの中から、新しい仕事が生まれているんですね。
浜野:全部が会社としての仕事につながるわけではありませんが、ビジネスの種まきをしておきたいという目的もありますね。種をまかない限り芽は出ませんし、すべての種から芽が出るわけではありません。しかし、種をまかない限り芽は出ませんし、花も咲かないし実もなりませんので。
(後編へつづく)